五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

懲罰としての氏名公表の是非

 些か旧聞なので、こっちのカテゴリーにしました。

○懲罰としてのWeb上での氏名公表を考える
〜巨悪は眠り、小悪は永遠にさらし者に〜

http://nikkeibp.jp/sj2005/column/c/03/

 まぁ、どんな内容なのかは本文を読んでもらうとして、私の読後感想は「何を甘っちょろい事言ってるんだ」というものでした。以前(或いはSo-net blog時代)にも書いた事ですが、日本社会ってのは1アウトでゲームセットなんです。それがいい事なのか悪い事なのかは別問題として、「だから悪い事はしてはいけない」というのが、日本的道徳観というものでしょう。
 上記記事において、私が特に甘っちょろいと感じたのは以下の行です。

 自ら招いたこととはいえ、刑事事件として起訴され、組織より懲戒免職処分を受け、またマスコミに報道され、社会的に制裁を受けた個人に、さらに追い打ちをかけるごとく、ネットの世界に犯罪者として氏名をさらすことが、果たして社会的な正義に沿った施策なのか。

 あのねぇ、田淵義朗さん。不正を犯した人間を再起不能にすべく徹底的に追い討ちを掛ける事こそがネットの使命なのですよ。私が昨日の記事でも書いた事ですが、マスゴミにとってはニュースなんて所詮消耗品でしかありません。だからこそ、古いニュースはインターネット上でも次々と削除され、その結果として犯罪者(と言うよりも前科者)と一般人との見分けが付かなくなっているだけです。
 しかし、当然ながら刑法上の前科は記録として一生涯本人に残りますし、罪を犯した事それ自体は未来永劫厳然たる事実として残るのです。そして、その犯罪による被害者にとっても、犯罪の事実は一生の枷となるのです。ニュースを消耗する事を生業とするマスゴミは、この事に盲目となっているに過ぎません。

 牢屋に入れられても、ひとたび刑期を終えれば犯罪者ではなくなり、一般人と同じになる。社会復帰後も、ネット上に自分のしでかした犯罪がいつまでも氏名とともにさらされているような社会では、社会復帰しようとする個人の意欲を削ぐ要因にもなりかねない。

 おいおい、アンタは靖国神社に合祀されたA級戦犯か(笑)。まぁ、実に見上げた加害者精神ですな。犯罪者の社会復帰云々を語る前に、さだまさしの「償い」を100回くらいリピートで聴いて出直してきなさい。

償い~SONGS OF LIFE

償い~SONGS OF LIFE

 結局、こういう犯罪者に甘っちょろい人間が個人情報保護とか言い出しているから、ブロゴスフィアはそのカウンターとして犯罪者を実名で追及せざるを得ないんですね。当初から実名すら公開されない少年犯罪ともなれば、なおさらです。行き過ぎた個人情報保護が、「どうせ何をやっても実名公表されないから」と却って少年犯罪の凶悪化を招いているのです。田淵義朗氏は、この皮肉をどう説明するのでしょうか。まぁ、「巨悪は眠り……」などと、その巨悪をのさばらせているマスゴミを批判する事が出来ないようでは、まともな説明など最初から期待できませんけどね。

 それはそうと、ここまで田淵義朗氏は、インターネット上で集中砲火を食らった事があるのでしょうか。一度2ちゃんねらーが本気になれば、単に実名や住所を公表されるなんてのとは比較にならない程の「祭り」になるのですが、田淵義朗氏はそんな経験がないからこそ「実名公表は……」なんて牧歌的な事を言っていられるのでしょうね。懲罰としての氏名公表を考える前に、一度「祭り」の現場を肌で知っておく必要があるでしょう。まぁ、私とて一度攻勢に回れば徹底的に「祭り」のターゲットを潰しに掛かりますから、余りエラソーな事は言えませんけどね。
 因みに言うと、こうした「祭り」のターゲットになった時の正しい受け方は、徹底した無視です。所詮、「祭り」の参加者の85%は単なる興味本位なのですから、ターゲットが何も反応を起こさなければ、次第に飽きていってしまいます。お陰様で、2ちゃんねるのブログ板に立った私の個人スレも、気が付けば完全に過疎化しています。2ちゃんねらーなんて、そんなものですよ。