さて、旅行そのものについては恐らく別ブログでやる事になるんでしょうが、取り敢えず気になった事を1点。
嬉野市の観光案内やタウン誌を見ていると、やたらと目に付くのが鹿島市の存在でした。地図を見れば鹿島市、店舗情報も鹿島市、周辺観光施設の案内には祐徳稲荷が出てくるなど、如何にも「嬉野市は鹿島市の配下にある」といった感じのアピールです。どんな所にも鹿島市の名前を出そうとするその姿勢は、ヒッチコックや安田弘之を通り越して雄犬並みですね。
では、何故鹿島市が嬉野市でのマーキング行動に必死なのかというと、長崎新幹線や並行在来線の問題にあります。
○長崎本線存続期成会
http://www.nagasakihonsen.jp/
長崎新幹線は、当面の工事として武雄温泉=新大村=諫早を直結し、この部分での高速化或いは線形改良を目論んでいます。現在、長崎本線は肥前山口=諫早が線形・容量ともにボトルネックとなっていて、根本的な輸送力増強或いは高速バスなどとの競争力強化には、新線建設による肥前山口=諫早のショートカットが欠かせない状態となっています。
この長崎新幹線によって、旧嬉野町と鹿島市とでは見事に明暗が分かれます。旧嬉野町にとっては、待望の鉄道路線開通だけではなく、新幹線開通による乗客誘因効果やその他経済効果が期待できる一方、鹿島市にとっては特急列車の廃止&長崎本線の第三セクター化というダブルパンチです。現在は肥前鹿島に全特急列車が停車している事を考えれば、鹿島市の転落は非常に大きいものがあります。しかも、これで長崎新幹線が開通してしまうと、
の3点セットが全て嬉野経由になりますから、ここに見事なまでの鹿島飛ばしが完成する事になるのです。
当然ながら、武雄市や旧嬉野町は長崎新幹線に賛成していましたが、藤津郡における町村合併から武雄市を分断する事により、鹿島市は何とか藤津郡をシマとして残す事に成功しました。しかも、嬉野市の市庁舎は旧嬉野町ではなく旧塩田町に設置されたのですから、鹿島市にとっては実質的に「勝利」した事になります。これにより、長崎新幹線の賛否で正反対の関係にある両町を合併させられたのですから、長崎新幹線の推進力は一気に減退します。以前、嬉野市のアンケート調査で長崎新幹線の賛否が半々だった事に私は疑問を持ちましたが、こういう絡繰りがあったんですね。
因みに、鹿島市による嬉野市へのマーキング行動は、こんな所でも見る事が出来ます。
○嬉野市【新鹿島警察署がスタート!】
http://www.city.ureshino.lg.jp/445.htm
関東に住む私からしてみれば、明らかに鹿島ではなく武雄との一体性が高いような気がするのですが、長崎新幹線という力学が働くと、こういう事も起こるものなんですね。
で、私自身の賛否なんですが、長崎新幹線の建設には賛成です。というよりも、長崎新幹線の開通による鹿島飛ばしに賛成です。熊坂義裕や桑原允彦といった、余所様の合併にイチャモンを付ける事でしか自市のアイデンティティを確保できない市長が、私は大嫌いですからね。官民挙げての観光PRでその知名度を全国区にした嬉野と、茨城県鹿嶋市にしろ長崎新幹線にしろ文句を言うしか能がない鹿島とでは、どちらを応援したくなるかは言うまでもありませんね。
因みに、この桑原允彦なる人物、「プロ市民」という言葉の提唱者だったんですね。本人は現在のような意味で用いられる事など想定していなかったのでしょうが、やっている事を考えれば現在の「プロ市民」と五十歩百歩ですね。まぁ、どちらかといえば「プロ市民」ではなく「プロ市長」なんでしょうが。