昨日、新宿からの帰りの車中、私の隣に座っていたカップルがエースJTBのパンフレットを5,6冊ほど広げていました。表紙を見る限り、何れも関東近郊の温泉地のパンフレットで、どうやら2人での温泉旅行を画策しているようでした。まぁ、どうせ私には縁のない話ですよ(つД`)
僻み根性はさておき、これらのパンフレットを見て、そういえばここ2,3年近場の温泉に行っていないという事に気付きました。私の記憶が確かならば、関東近郊の温泉に行ったのは、2003年12月の稲取温泉が最後です。それ以降に行った温泉で最も東京から近いのは、2004年10月に行った和倉温泉*1で、この時も往復小松空港利用です。
では、どうして近場の温泉に行かなくなったのだろうかという事を振り返ってみて、私は3つの理由に辿り着きました。
- 関東近郊の温泉は、殆どが加水・加温・循環されている。
- 関東近郊の温泉旅館は、週末になると料金がボッタクリになる。
- 北関東の温泉に行こうとすると、九州・北海道と所要時間が変わらなくなる。
特に大きいのは、1番です。数年前、大江戸温泉物語だのラクーアだのがオープンしたのを見るに付け、私は「何が悲しくて加水・循環の塩素泉に何千円も出さなきゃならないんだ」と思ったものですが、よく考えてみれば、伊豆や箱根でも掛け流しの温泉はめっきり減っていて、「何が悲しくてイスカンダル伊豆くんだりへ塩素泉に入りに行かなきゃならないんだ」ってなもんです。要するに、都心で塩素泉に浸かるか「元温泉地」で塩素泉に浸かるかの違いだけでしかなく、しかも宿泊しようとすれば土曜日は見事なまでにボッタクリ価格なのでした。
とあれば、どうせ往復交通費含めて3万円からの出費をするのなら、いっその事プラス1万円で九州や北海道まで飛んでしまった方が、マイル稼ぎにもなるし本物の温泉にも入れるし、余程有意義な温泉旅行になるというものです。勿論、九州や北海道の温泉旅館でも、土曜日の宿泊はそこそこ相場が上がりますが、関東近郊でのボッタクリに比べれば、その上げ幅は微々たるもので、旅館によっては平日と同料金で泊まれる所すらあります。しかも、関東近郊に比べれば掛け流しの温泉も数多く存在し、おまけに無料で湯めぐり出来るケースすらあります。最近では、航空運賃だけでなくレンタカーの価格もかなり下がってきましたから、事前に予定さえ組めれば、関東近郊に温泉旅行するよりも却って安上がりになるケースすらあるのです。
こうなると、少なくとも私にとっては、関東近郊の温泉に存在意義はありません。交通費を考えると決して「近場」ではない近場において、塩素泉で「温泉気分」を味わうなど、後に虚しさとやるせなさとを残すのみです。まぁ、私は荒川を渡る回数よりも関門海峡を渡る回数の方が多いという奇特な人間ですが、今よりももっと航空機が一般市民にも身近になり、航空機を利用した旅行に対する心理的障壁が低くなれば、空ヲタや修行僧以外の観光客も関東近郊の温泉には見向きもしなくなる事でしょう。特に、団塊の世代が温泉旅行において「本物志向」となれば、関東近郊の温泉は軒並み廃れていく事でしょうね。
では、斯くなる時代において、関東近郊の温泉旅館はどう生き残ればいいのでしょうか。取り敢えず、私が思い付くソリューションは以下のようなものです。
- 温泉をネタにした大規模レジャー施設を構築する。
- 地域ぐるみで「本格的な温泉街」に徹する。
- 例:黒川温泉・湯平温泉
- 高級路線に突っ走る。
- 例:鄙の座(あかん鶴雅別荘)・白銀屋(星野リゾート)
何処かの槇原敬之ではありませんが、「ナンバーワン」志向ではなく「オンリーワン」志向で他の温泉との差別化を図れないようでは、その温泉は観光地としてジリ貧になるだけです。温泉だというだけで有り難がられる時代など、とっくの昔に過ぎ去っています。旅館として、或いは地域として、どんな温泉になろうとしているのかが、今後強く問われる事になるのでしょう。
まぁ、温泉に関しては、「通過型ではなく滞在型の観光地になる事」など、まだまだ日本全体に散見する課題なんかもあるのですが、それはまた気が向いた時にでも書きます(;´∀`)