五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

駒大苫小牧絡みのはてな輿論3件

 という事で、本日のタスクです。そして、この話は昨日の続きです。ここ3日間、はてなダイアリーではキーワード「駒大苫小牧」を含む日記の数が非常に多く、この問題の大きさが伺えます。しかし、またぞろ市民輿論が「何の罪もない後輩に責任を負わせるべきではない」と同情論に動いているのには、ほとほと呆れるしかありません。
 果たして何件の日記があったのかは数えていませんが、その中でも特に目立った3件について、遠隔地からコメントを入れてみます。


○Niemals-Gasse - 酒の何があかんの?

http://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20060303/p1

 いや、酒はアカンて、酒は。大人だろうと子供だろうと、アルコールが害である事に変わりはないんですから。アルコールという薬物に耐性のない生徒に飲ませたら、冗談ではなく急性アルコール中毒の危険性がありますって。
 しかも、「もはや自分の保護下を離れとるんやし」って、3月31日まで生徒の籍が高校に残り続ける事くらい、教員免許持ってる人間なら*1常識でしょうが。酒盛りしている事がバレたら、教員だけでなく学校の責任が問われる事になります。勿論、飲ませた教員は懲戒免職、学校長も管理責任を問われて依願退職に追い込まれます。
 取り敢えず、自分が違法行為をしてきた事を暴露して開き直っている辺り、研究者としても教育者としても資質に問題ありでしょう。未成年時代の飲酒など、自慢にも何にもなりません。寧ろ、自分のバカっぷりを曝け出しているという事に、Leiermann氏は一刻も早く気付くべきでしょう。珍走団で粋がっているガキ共と同レベルです。

 こんな偽善塗れの悪法に順応するのがバカでない人間のすることなのか。自分で自分を律するべきは高野連だろうが。そもそも、この件が不祥事であったとしても、これに関わっていない部員が巻き添えにされることの理不尽さに想いが至らないのだろうか。はっきり言う、バカはお前だ!

 そういえば、倫理学の大家であるソクラテスは「悪法もまた法なり」って言ってましたね。倫理学的に法の善し悪しを考える事と、その法に従うか否かという事とは、完全に別問題です。「偽善塗れの悪法」なら従わなくてもいいって事になると、殺人だろうが強姦だろうがやってもいいって事になってしまいます。遵法精神そのものまで否定した倫理学者ってのを私は寡聞にして知らないのですが、果たしてそんな人っていたんでしょうかね。


○逍遥口説 - 駒大苫小牧高校の「出場辞退」を考える

http://d.hatena.ne.jp/ccol/20060304/p1

 何度も指摘していますが、今回の出場辞退は駒大苫小牧野球部という組織に対する処罰*2であり、そこに所属していた生徒個人の責任を問うものではありません。しかし、駒大苫小牧は自然人ではなく法人なのですから、結果として法人への処罰はその法人に所属する各個人に下されなければならないのです。その限りにおいて、駒大苫小牧野球部という組織に所属する事によって甲子園出場の機会を得た1・2年生は、今回の出場辞退及び今後の対外試合禁止という処分を受け入れざるを得ません。この法理が否定されるのなら、両罰規定や三罰規定の概念そのものも否定されてしまい、法人の存在なくして成り立たない現代社会そのものが立ち行かなくなります。
 ccol氏は、今回の出場辞退を「連帯責任」としていますが、上記の通り、その解釈は誤りであるというべきです。もし、今回の飲酒・喫煙事件を受けて1・2年生に連帯責任を問うのであれば、それは駒大苫小牧野球部の対外試合禁止という処分ではなく、各部員の公式試合出場禁止という処分になります。或いは、駒大苫小牧の生徒として、停学や退学といった処分を受けるのであれば、これは「理不尽な連帯責任」との批判にも相当するでしょう。しかし、駒大苫小牧高野連も、1・2年生部員個人に対する処罰は何等下していませんし、これからも下す事はないでしょう。「個人として」の部員各人に処罰が下されない限り、巷間言われている連帯責任論は何等妥当しないのです。

事実を明らかにして対策をとるためには、処罰を伴う連帯責任制はやめるべきだ。ただし不祥事の当事者以外の者にも責任があるかどうかは事例ごとに検討する必要がある。

 JR福知山線脱線事故オーストリアのケーブルカー火災事故に際して触れた事がありますが、処罰を伴わない責任追及には何等実効性はないのです。逆に言えば、具体的な刑事罰の発生こそが組織に対する規制を担保し得るのです。鉄道会社や航空会社の経営者が安全対策に無頓着なのは、事故発生時に自らが逮捕・投獄されるリスクが極めて低いからです。ましてや、これら経営者に実刑判決まで出る事は皆無といってよく、事故の被害者は遣り切れない思いをさせられる事になるのです。
 更に言うと、ccol氏が後掲している日本学生野球憲章においても、その連帯責任は不祥事を起こした本人及びその本人が所属していた野球部にまでしか及ばず、決して他の部員が連帯して責任を負う事など何処にも規定されていません。野球が個人競技ではなく団体競技である以上、その活動単位が野球部という組織を基本とするのは当然の事であり、野球部関係者の不祥事に際して野球部という組織が連帯して責任を負うのは、社会通念上当然の事であるといえるでしょう。今回の場合、3年生部員は「駒大苫小牧野球部」という組織で飲酒・喫煙事件を起こしたのですから、駒大苫小牧野球部は「不祥事の当事者」そのものであるというべきです。


○uumin3の日記 - 駒大苫小牧選抜辞退

http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060305#p1

 ccol氏と同じく、連帯責任論に基づく出場辞退反対論です。今回の事件の本質が「連帯責任」ではないという事については、重ねては書きません。駒大苫小牧或いは野球部が、飲酒や喫煙といった事件に対して予見・回避すべき義務がある事は、論を待たないでしょう。出場辞退や対外試合禁止といった処分は、その義務違反に対するペナルティなのです。そして、駒大苫小牧野球部が組織としてペナルティを受ける以上、そこに所属する野球部員も組織の一員としてその影響を受ける事は当然なのです。
 これを「内輪の論理」として片付けてしまうと、組織犯罪という概念そのものが成り立たなくなってしまいます。如何なる組織においても、組織それ自体が自然人ではない以上、その行為には自然人たる行為者の介在が必要となります。だからこそ、組織に所属する個人の犯罪は、組織それ自体に対して責任追及されるのです。これが、代位責任論の基本ではないのでしょうか。

高校生が飲んだって…

 というようなことは、自分が子供の立場だったら言いかねないことでもありますが、これには賛成できません。子供の自主性・判断に任せようというなら、言い方を換えれば「自主性」を持った責任を取れる人格として認められるなら、彼らを「大人」とみなすべきです。

 前段については、私も同意見です。但し、成人年齢に達したら飲酒してもいいという考え方には、私は同意できません。抑も、成人であってもアルコールは有害物質であるという問題があるのですが、生物的な成年と社会的な成年とは混同すべきではないからです。ましてや、精神的な成熟を以て肉体的な成熟を追認する事など、出来るはずもありません。従来通り、飲酒・喫煙の制限における成人年齢は20歳のままでよいでしょう。出来れば、次第にこの成人年齢を引き上げていき、最終的には全面的な飲酒・喫煙の禁止に持ち込んで欲しいものですが、それは今回の事件とは直接関係しない将来的な課題と言うべきでしょう。

*1:因みに、私も教員免許を持っています。プロフィール参照。

*2:厳密に言うならば、処罰される前に自裁したのですが。