五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

日本代表チームに足りないもの

 昨日は、コンフェデ杯を観戦する前に、バレー女子ワールドGPの日本×ブラジルも見てしまいました。まぁ、ゴールデンタイムの試合なのに録画中継という時点でフジテレビが視聴者をナメてるのはよく分かりましたが、第3セットを丸々カットするというあるまじき中継が故に、日本がボコられる事になったターニングポイントが全然分かりませんでした。まぁ、第4セットをブラジルが取った時点で結果は見え見えでしたけどね。
 先週のサッカー然り、今週のバレー然り、日本代表チームはここぞという場面での踏ん張りがありません。心技体で言うならば、技術・体力ならそこそこ国際水準が遠くに霞んで見えるレベルまでは来ていますが、精神面では相変わらず世界最弱レベルです。それ故なのか、日本代表チームのプレーは、見ていて「あっ、こんなプレーも出来るようになったんだ」とこそ思えても、「あっ、日本代表もこんなに強くなったんだ」と思える事はありません。何というのか、プレーに気迫が感じられないんですね。
 では、日本代表チームは何故精神的に脆いのかというと、それは恐らく負けても失うものが何もないからでしょう。負けても負けても負けても負けても負けても負けても負けても負けても、そしてまた負けても、サポーター*1は変わらず声援を送り続けてくれますし、テレビに出ればアイドル扱い、収入だって食うには困らないどころか人並み以上に稼ぐ事が出来ます。これでは、日本代表としての勝ち負けよりも如何に日本代表として目立つかに気が傾くのも当然です。他国であれば、代表選手に選ばれる事はあくまでもスタート地点でしかないのですが、殊日本においては、代表選手になる事自体がゴールとなってしまっているのです。
 昨日のバレー女子ワールドGPで、ブラジルが鮮やかに逆転劇を決めた背景には、ブラジルという国における貧富の格差があります。ブラジルにおいては、ナショナルチームで名を挙げる事が出来なければ、一生を貧困の中で終えるか、マフィアに身を落とすかしかないのです。それは、南米やアフリカの各国においても同じ事で、ナショナルチームでの勝敗は、正しく人生の明暗を左右する事となります。



 今から遡る事12年前、所謂ドーハの悲劇の際に話題となったのが、「イラク代表はワールドカップ出場を逃すと鞭打ち刑に処される」という噂です。どうやら、近年その噂は単なる噂ではなく事実だという事が判明しましたが、負けても精々成田空港で卵をぶつけられるだけの日本代表と、負ければ鞭打ち刑が待っているイラク代表とでは、背負っているものの重さが違います。
 この鞭打ち刑、イスラム諸国では一般的な刑罰なのですが、古代日本の律令制度における五刑*2の鞭打ち刑と同じようなものだと思っていたら大間違いです。実際には、鞭打ち刑はこんな感じで執行されるんですね。

○むち打ち刑

http://www.geocities.com/penang123/whip.html

 嗚呼、素晴らしき職人芸。私なんか、この写真を見ただけで全身が震え上がってしまいます。
 思うに、日本もこの鞭打ち刑を導入してみてはどうでしょうか。勿論、公開且つテレビ中継付きで。オリンピックやワールドカップなどの国際大会で本戦進出を逃したら鞭打ち、或いは本戦に進出しても予選で敗退したら鞭打ちってな感じです。サッカーや野球の日本代表チームなど、確実にプレーの凄味が増しますよ。
 まぁ、実際に予選敗退して鞭打ち刑を執行されれば、その選手は最低でも半年くらいは使い物にならなくなるでしょうが、(少なくとも他国においては)国家の威信が懸かる試合なんてそうそうあるものでもありませんし、選手の入れ替えにも好都合かも知れません。卵をぶつけられたり一部マスゴミで誹謗中傷を書かれたりしても蛙の面に小便ですが、鞭打ち刑ならば下手すると選手生命そのものが終わります。勿論、敗残兵として晒し者にされていますから、太々しくタレント活動でゼニを稼ごうなんて野望も通用しません。「代表になれなかったその他多数」のスポーツ選手と同じく、惨めな人生の末路しか残されないのです。



 こういう前近代的なプレッシャーの掛け方によって選手を精神的に追い込む事は、恐らく現代日本においては到底受け容れられない事でしょう。しかし、私が敢えてこんな前近代的な主張をするのは、鞭打ち刑なんて事を言い出さなければならないほど、日本代表選手にプレッシャーが欠けていると感じているからです。私は、余り「国家の威信を懸けて」だの「日の丸を背負って」だのといった考え方には与したくないのですが、少なくとも現在の日本代表チームを応援している人々は、代表選手に「日本の威信」を託しているのであり、それ故に熱狂的に応援しているのです。代表選手においては、自分達がこれらサポーターの期待と声援と、そして日本国民の税金とを受けて、国際試合の場に立っているという事を実感して欲しいものです。
 それと同時に、日本人サポーターももっと勝敗にシビアになるべきでしょう。別に、自殺点を挙げた選手を射殺しろ*3とまでは言いませんが、勝敗をお座なりにした怠慢プレーを見せた選手に対しては、もっと激しく非難の目を向けるべきでしょう。その為には、何でもかんでもアイドル扱いにするスポーツ中継の一刻も早い駆逐が必要である事は、言うまでもありません。

*1:この言葉を野球やバレーボールの観客に適用していいものかどうかは不明ですが。

*2:笞・杖・徒・流・死の5種類です。中学・高校時代の日本史で、「ちじょうずるし」と暗記しましたね。

*3:コロンビアでは、実際に自殺点を挙げてしまったエスコバル選手が射殺されるという事件が発生しています。まぁ、これは国家の威信云々ではなくサッカー賭博絡みなんですけどね。