五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

ヤニ色アクアリウム

 今日は、プロジェクトの懇親会とやらで、港区内の某所に行ってきました。まぁ、参加費無料で飲み放題食べ放題だからこそ来たようなもので、そうでなければトリビアの泉やらワンナイR&Rやらを見にとっとと帰っているところです。R25式モバイルで今日のテレビ番組表を確認すると、ワンナイでワッキーの罰ゲームなんだそうです。これは見ておいた方がよかったかも知れませんね。
 で、例によって、開始から30分もしない内に、私は会場外のベンチで寛いでいました。懇親会自体はまだ1時間以上続いたのですが、既にバフェットで利益確定の食いを済ませましたので、アルコールを口にしない私にとっては、最早残りの1時間は無駄でしかありません。意義があったとしても、せめてフルーツ用の小腹が空く事を待つのみです。
 こうなると、会場にいる事は、寧ろ害ですらあります。言うまでもなく、原因は煙草です。このプロジェクトは、メンバーの喫煙率が85%近くあるのか、既に会場はヤニ色アクアリウムと化していました。要は、死刑執行用の毒ガス室ですね。私は「やに食う人びと」ではないので、こんな副流煙の危険地帯には近寄りたくありません。
 私は、「たまにはパーッと仕事のストレスを発散したい」という向きを全面的に否定するものではありませんし、私自身も仕事のストレスを発散したくなる時があります。しかし、ストレス発散の触媒としてアルコールやタバコが付いて来る必然性は、決して存在しないはずです。打ち上げの度に「取り敢えずビール」「続いて煙草」というワンパターンの薬漬けに陥るのが、果たして文明的な生物と言えるのでしょうか。私には、アルコールやタバコがなければストレスの一つも発散出来ないような連中は、犬畜生よりも劣って見えます……と書いたら、犬畜生に失礼ですね。少なくとも、犬畜生は薬物中毒ではありませんからね。
 そう考えてみると、アルコールもタバコもなくてもみんなが盛り上がれる中高生は、ある意味大人よりも人間として健全なのではないでしょうか。そりゃあ、中高生の時分から不健全では困るっていうのも確かですが、二十歳になったら酒も煙草もヨーイドンというヴェクタの禁酒・禁煙教育にも問題があるでしょう。最近でこそ、タバコに関しては生涯禁煙を前提とした禁煙教育が普及して来ていますが、アルコールについて生涯禁酒を前提とした禁酒教育など、行われている例を知りません。発癌性を始めとしたアルコールの様々な有害性が立証されてきているにも関わらず、恰も「二十歳になったら飲酒してもよい」かのような禁酒教育を未成年者に施すのは、健康増進という禁酒教育の本文に甚だ悖ると言わざるを得ません。
 これからの禁酒・禁煙教育は、「アルコールもタバコも、人間にとっては百害あって一利なしであり、生涯を通じて一切関わるべきではない」という認識の下、アルコールやタバコが成人にとってもどれだけ有害であるかという事を、きちんと教育すべきです。現在のアルコール中毒予備軍を量産するような禁酒教育では、アルコール禍の減少は望むべくもありません。飲酒者というアル中を社会のマイノリティに追い込む事によって、初めてアルコールの撲滅という健康増進が実現するのです。