五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

2016年夏季五輪の国内候補都市が東京都に決定

 という事で、本日のトップはこちらです。

○2016年夏季五輪 国内立候補都市は東京

http://symy.jp/?pcgウェブ魚拓+ウェブ精米)

○福岡市敗れる 五輪国内候補都市は東京都

http://symy.jp/?Fk7ウェブ魚拓+ウェブ精米)

 まぁ、下馬評通りですね。既にJOCは東京優位とする報告書を纏めていましたし、今更福岡市にそれを引っ繰り返すだけの知謀がなかったという事です。そんな所へ来て、市職員の飲酒運転による死亡事故まで発生してしまい、福岡市が輿論を徹底的に敵に回してしまった感じです。別に、この死亡事故によって福岡市の落選が決定したという事でもないんですけどね。
 とはいえ、今回の招致活動で最も不思議だったのは、山崎広太郎と同列で福岡・九州オリンピック招致推進委員会の副委員長を務めている麻生渡や末吉興一が招致活動の表舞台に全然姿を見せなかった事です。

○福岡・九州オリンピック招致推進委員会 鎌田会長あいさつ

http://www.2016fukuoka.jp/greeting/index.html

 新福岡空港に関するグダグダを見ていれば、山崎広太郎の知謀が麻生渡や末吉興一のそれに遠く及ばないという事は誰でもたちどころに判る所なのですが、その2人の知謀が発揮された形跡は、今回に関する限り一切見られません。しかし、2人が福岡五輪に反対なのであれば、わざわざ招致活動を野放しにしておく事なく、最初から山崎広太郎を黙らせておけばいいだけの話です。敢えて東京都との決選投票に至るまで「好きにやらせていた」という事は、福岡市の五輪招致活動が進んでいる間に北九州市で済ませておきたいマイナスの清算があったという可能性が大です。そのマイナスが何であるかまでは掴んでいませんが、スターフライヤーJ-AIRの相次ぐ減便は、麻生渡や末吉興一が余り輿論の注目を集めたくない清算の1つであると言えるでしょう。



 今回、私はこの招致活動を福岡サイドに立って見ていました。ひょんな事がきっかけで福岡市の五輪招致活動をしている人と知り合い、若干ながら招致活動にコミットする事もありました。彼等の描く五輪像には不完全な部分も多く、行政学的な見地からのツッコミポイントも満載でした。正直、「これでは反対輿論が盛り上がるのも当然か」と頭を抱えたくなるくらいです。
 しかし、私はそのバカバカしいまでの積極性を、却って羨ましく感じてしまいました。大学時代に公共事業の研究をしていたばかりに、こうした一大プロジェクトを一歩退いた場所から斜に構えて捉える事しか出来なくなっていた私には、単純に「オリンピックばしたいったい!」と言い切れる彼等が新鮮に見えたのです。それは、私が知らず知らずの内に失っていた、いい意味での「若者らしさ」だったのです。
 福岡市が先頭に立って積極的に旗を振り、意欲だけは人一倍ある若者達が盛り上げていった五輪招致活動は、何時しか福岡市全体を包んでいました。市内のそこかしこに五輪招致を訴えるポスターやステッカーが立ち並び、異邦人の私でさえ「福岡市が2016年の五輪招致活動に取り組んでいる」という事が一目で分かるくらいでした。ここ数ヶ月の福岡市は、正にオリンピック一色だったと言っても過言ではありません。
 当然ながら、五輪招致活動が盛り上がる一方では、その五輪招致に反対する活動も盛り上がっていきました。これほどの大規模プロジェクトになれば、新北九州空港のように輿論が大政翼賛状態になる事など通常は起こり得ず、そこには意見の対立が発生します。しかし、意見が対立するという事は、そこに議論が生まれるという事でもあるのです。賛成派と反対派とが真剣に意見をぶつけ合い、よりよい結論を導こうとしたからこそ、福岡市民は五輪招致活動を自分の問題として認識できるようになり、政治に対する関心も高まったのです。

 翻って、東京都においてどれだけ議論があったのかと考えると、私にはその形跡を見付ける事は出来ません。そこには、オリンピックで一儲けを企む東京都と、そのオリンピックに無関心である大多数の都民とがいるだけでした。五輪招致活動が闌の福岡市から東京へと帰ってきた時、私にはそこが同じ五輪招致活動をしている自治体であるという事が全然信じられませんでした。街中に東京都の五輪招致活動を窺い知れるものはなく、都庁や都議会の広報で辛うじて五輪招致活動の状況を知る事が出来るのみという為体です。東京都民の中には、今日の報道で初めて五輪招致活動の存在を知ったという向きも少なからずいる事でしょう。
 五輪招致活動そのものが余り認知されていないようでは、その賛否に関する議論など盛り上がるはずもありません。事実、昨日まで東京都の五輪招致活動に賛否を述べていたのは、直接的な利害関係者でもなければ単なる行政ヲタくらいのものでした。こんな状態では、議論の成熟度が高まる事など、望むべくもありません。議論のないところに、まともな公共事業など出来るはずもないのです。
 2008年に北京で夏季五輪が開催される事を考えると、東京と雖も2016年の五輪招致は国際的力学関係からして先ず無理でしょう。しかし、2009年にコペンハーゲンIOC総会が開催されるまでの3年間、東京都においては五輪招致を奇貨とした様々な公共事業が展開される事でしょう。恐らく、その大部分は、鈴木都政時代の前轍を踏むが如く、後世「失敗プロジェクト」と語り継がれるものになる事でしょう。それは、都民に対する説明責任をお座なりにした東京都の罪科であるだけでなく、行政に対する監視責任を怠った東京都民の罪科でもあるのです。