五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

馬車馬特急EXEの受難

 さて、憑かれた大学隠棲氏のブログで、私のコメントがきっかけで盛り下げてしまったネタがあります。それは、小田急電鉄におけるロマンスカーEXE(30000形)の評価です。

○ここは酷いスナックカーですね 障害報告@webry/ウェブリブログ

http://lm700j.at.webry.info/200609/article_16.html

 ここでは、近鉄特急の馬車馬軍団がどうして酷評の対象にならなかったのかという事を考察していますが、私は逆に「どうしてEXEは酷評の対象になってしまったのか」という事を考えてみようと思います。



 大前提として、小田急ロマンスカーにおける以下の定義は必要でしょう。

  • xSE:華
  • EXE:馬車馬

 現状を見る限り、この位置付けはほぼ間違いありません。近鉄特急で言うならば、xSEがアーバンライナー伊勢志摩ライナー、EXEはACEシリーズという事になります。編成数で言っても提供座席数で言っても、EXEが小田急ロマンスカーにとって必要不可欠な車両であるのは、誰もが認める所でしょう。
 それと同時に、EXEは小田急ロマンスカーの水準を漸く他社並みに引き上げた車両でもあります。フルリクライニングシートやシートポケットといった当たり前のアコモデーションですら、HiSE(10000形)以前の特急型車両には十分に備わっていなかったのです。展望席や連接式台車、或いは2階建て車両やスーパーシートといった「華」への投資を普通席の改善に振り向けた分、EXEは特急型車両としてまともな出来になり、「特急料金を徴収するに相当する」車両になり得たのです。
 そんな「ユーザーオリエンテッド特急型車両」であるEXEは、従来ロマンスカーが抱えていた課題の多くを解決しましたが、同時に数多くの鉄ヲタ(或いは鉄ヲタ予備軍の子供達)からは強烈な拒否反応が示される事になってしまいました。言うまでもなく、EXEには「ロマンスカー的な華」がないからなのですが、この「華」という要素を考えるに当たっては、鉄ヲタの病理だけでなく、ロマンスカーに対する小田急の考え方も検証する必要があります。ロマンスカーは、鉄ヲタにとってだけではなく、小田急自身にとってもまた「華」でなければならなかったのです。



 小田急ロマンスカーに「華」を求める理由、その1つは、特急型車両の絶対的な少なさにあります。小田急沿線の宅地化は、西へ行けば本厚木を軽く通り越し、南へ行けば藤沢までずっと住宅地が続きます。高度経済成長期に早々と需給が逼迫した小田急においては、溢れんばかりの乗客を通勤型車両で只管に輸送する事が至上命題でした。
 一方、大多数の乗客においても、必要だったのは快適性よりも乗車機会であり、有料特急よりも急行・準急の充実の方が強く望まれました。沿線の大部分が宅地化した小田急においては、都市間輸送よりも都市圏輸送がメインとなり、有料特急を日常的に利用するという習慣はなかなか根付かなかったのです。この点は、小田急のみならず、関東大手私鉄にほぼ共通する話でしょう。都市圏輸送の表舞台に有料特急が出てくるようになったのは、ここ十数年の事です。
 更に、小田急にとって不幸だったのは、自動車普及率の向上とほぼ同時に東名高速道路小田原厚木道路が完成してしまい、箱根輸送において自家用車が強力なライバルとなってしまった事です。箱根山戦争に多大なリソースを注入した小田急にとって、箱根輸送の主役を自家用車に奪われる事は、箱根山戦争における戦果を無に帰する事になります。ここで、大人しく「箱根輸送から撤退する」という経営判断もあったのでしょうが、実際の小田急コンコルドの誤りに陥っていったのは、見ての通りです。
 そんな小田急において、有料特急が箱根輸送の立役者として生き存える為には、単なる利便性を超えた特別のステータスが必要になります。それこそが、SE車(初代3000形)の走行性能やNSE(3100形)の展望席であり、「走る喫茶室」というサービスだったのです。ロマンスカーの「ハレ」を誇張する事により、逼迫する都市圏輸送の中にあっても、ロマンスカーはその存在を死守する事が出来たのです。
 もし、ロマンスカーが特急列車として「正常進化」していれば、箱根輸送でのシェアを失うのは現実よりもかなり早かった事でしょう。そして、ステータスもイールドもないロマンスカーなど、日常の都市圏輸送に埋もれてしまい、存在そのものが消滅していた危険性が大です。勿論、それはそれで都市圏輸送を担う鉄道会社として一つの在り方ではあるのですが、一度ロマンスカーという「華」をなくしてしまえば、現代においてそれを再興する事は凡そ不可能であると言えるでしょう。その限りにおいて、ロマンスカーが「華」を求めたのは、ロマンスカーの自己保存の結果であると言えるのです。

 しかし、時代は流れて、箱根輸送における自家用車の圧倒的優位が揺るがざるものとなり、一方で中間駅までの着席需要の存在も決して無視できない程に成長してきました。「あしがら」→「はこね」における町田停車は、元々は町田=小田原・箱根湯本という需要を拾う為のものだったのが、何時しか新宿=町田という需要を拾う為のものになっていました。ロマンスカーボリュームゾーンは、完全に町田以東へと移動していたのです。
 ここで、小田急は大きな葛藤を迎えます。ロマンスカーは、その「華」こそがアイデンティティだったのですが、ボリュームゾーンの需要は「華」よりも実用性を求めます。展望室や走る喫茶室よりも、リクライニングシートや十分な提供座席数の方が求められるようになったのです。今までは箱根輸送という「ハレ」の為のロマンスカーだったのが、これからは中距離輸送という「ケ」の為のロマンスカーにならなければならなかったのです。
 そんな「ハレ」と「ケ」との狭間に、EXEは生を受けました。展望席も2階建て車両も排した10両編成というストイックさを持ちながら、従来と同等の供食サービスを維持する為に、3号車・9号車には車販準備室としては些か役不足な販売カウンターが設けられました。それも、EXEデビューの前年に「走る喫茶室」のサービスが廃止されていたにも関わらずです。かぶりつき席にしても、1号車・10号車はかなり前面展望を意識した構造になっています。
 こうした葛藤は、EXEがNSEの代替として少なからず箱根輸送を担わなければならなかったという境遇に由来します。もし、EXEが都市圏輸送のみに特化する事が許されるのであれば、役不足な販売カウンターが設置される事はなかったでしょうし、1号車・10号車も貫通型の運転台にして座席定員を稼いだものと思われます。ひょっとしたら、最初から供食サービスそのものを廃止して、純粋な「座席指定列車」になっていたかも知れません。コンビニエンスストアの台頭により、車内販売そのものの需要も右肩下がりだったんですから、なおさらの事です。そうした思い切りが出来なかった所に、EXEのロマンスカーとしての「限界」があるのでしょう。
 小田急自身におけるEXEの葛藤は、小田急ファンの鉄ヲタにはより一層増幅されて伝わりました。ロマンスカーにも実用車にも徹しきれなかったEXEをどう評価していいのか、鉄ヲタ自身も分からなかったのです。その葛藤は、鉄道友の会の会員にもそのまま伝播し、遂に「特急ロマンスカー」を名乗る車両としては初めてブルーリボン賞を逃すという結果に至ってしまったのです。この事はつまり、EXEのロマンスカーとしての正統性が否定されたという事でもあり、小田急にとっても小田急ファンにとっても非常にショックな出来事でした。

 こうして、ロマンスカーにおける一種の黒歴史と化してしまったEXEですが、幸いにもボリュームゾーンである新宿=町田のヘビーユーザーには概ね歓迎されました。特に、夕ラッシュ時以降に運転される特急列車においては、EXEはその座席定員の多さを最大限に生かし、着実にその実績を積み上げていきました。「ホームウェイ」という愛称こそ鉄ヲタに嫌われたものの、小田急においてもホームライナー的有料特急列車の需要がきちんと存在する事を証明できたのは、ロマンスカーらしからぬEXEだからこその話でしょう。
 EXE及び「ホームウェイ」の成果を見て、小田急は漸くEXEにロマンスカーの正統性を求める事を諦める覚悟が出来ました。それまで、騙し騙し箱根輸送のイメージリーダーとしてEXEを持ち上げていた小田急ですが、ある時を境にキッパリとEXEを表舞台から引っ込め、代わりにHiSEを箱根輸送のイメージリーダーに再登板させました。一方で、EXEは「ケ」としての仕事を地道に増やしていき、小田急における有料特急の利用を日常的なものとして定着させる事に大きく貢献しました。ロマンスカーとしての正統性と引き替えに、EXEは小田急における「馬車馬特急」としての居場所を確保する事に成功したのです。
 もし、EXEの登場がなければ、2008年春にも開始されるであろうロマンスカーの地下鉄直通など、永久に実現しなかった事でしょう。湯島→相模大野などという通勤輸送は、正に「ケ」もいい所であって、とてもRSE以前のロマンスカーでは想像も付きません。当然、地下鉄直通用に新造される特急型車両には、EXEよりも極端に実用性が追求される事となり、EXEが為し得なかった前面展望や供食設備の完全放棄すら実現される可能性もあります。EXEに続く「馬車馬特急」が市民権を得た時、小田急は鉄道会社として一皮も二皮も剥けた存在になる事でしょう。

 さて、「華」と「馬車馬」との二本立てになった小田急ロマンスカーですが、ここに緊急事態が発生します。それは、交通バリアフリー法の施行により、HiSEが早々に退役を余儀なくされてしまった事です。このままでは、再びEXEに「ハレ」を担当させる葛藤の日々を迎えるか、或いはLSE(7000形)に「ハレ」を担当させる先祖返りの繰り返しかという二択になってしまいます。
 小田急は、そのどちらの選択肢も捨て去りました。HiSEの退役を期に、思い切って「ハレ」と割り切った特急型車両を新造する事にしたのです。「ケ」を担うに十分なまでにEXEの頭数が揃ってきた事や、湘南新宿ラインとの競合で少なからず「ケ」の担当を快速急行へと移譲しなければならなかった事もあって、新型ロマンスカーは「ハレ」のみを追及する事を許されたのです。
 そして、新型ロマンスカーVSE(50000形)が生を受けました。特急型車両としての居住性向上などは図られていますが、何処までも「華」らしく、何処までも「ハレ」の車両です。展望席や連接式台車は勿論の事、「走る喫茶室」まで復活し、誰もがロマンスカーとしてのカリスマ性を否応なく実感させられる芸術品と化しています。「ここまであからさまにブルーリボン賞を獲りに来た車両も珍しい」という事は以前にも書きましたが、それでも実際に圧勝でブルーリボン賞を獲得する辺りが小田急の底力なのでしょう。
 VSEは、良くも悪くも極端なまでに大人気ない車両です。しかし、小田急の中の人にとっては、VSEを「つくる」過程はこの上なく楽しかった事でしょう。その設計・製造からトータルデザインに至るまで、VSEは「ロマンスカースピリットここにあり」と雄弁に語る車両です。VSEの「華」は、恐らくEXEの葛藤におけるフラストレーションを解放した結果なんでしょうね。

 今から振り返ってみると、EXEの存在とは、小田急ロマンスカーが有料特急として正常進化する為の捨て石だったような気がします。馬車馬としての泥仕事を一手に担い、「華」のなさを内外から批判される事を甘受する事により、ロマンスカーは他社有料特急並みの実用性と新たな需要とを獲得する事に成功したのです。そして、EXEが受けた様々な屈辱をバネに、小田急VSEという「華」を作り上げる事に成功したのです。
 恐らく、地下鉄直通用に新造される特急型車両は、ブルーリボン賞を獲得する事はないでしょう。また、小田急東京メトロも、ブルーリボン賞を意識する事はないでしょう。EXEの葛藤を乗り越え、VSEという「作品」を完成させた自信があるからこそ、小田急は「ハレ」にも「ケ」にも対応する事が出来るようになったのです。その「ケ」対応の工業品として、EXEはその存在を評価されるべきでしょう。