五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

販売台数の比率に見るカローラの変節

 という事で、引き続き憑かれた大学隠棲氏からのネタです。

カローラ、セダンとワゴンで明暗 1カ月受注を発表

http://symy.jp/?usrウェブ魚拓+ウェブ精米)

 カローラについては、今日の「ガイアの夜明け」でも特集していたのですが、私が思うに、つくづくカローラは受動的にではなく能動的に買うクルマになったような気がしますね。要するに、それだけカローラがクルマとしての個性を持ち始めたという事です。それが、コンサバなセダンであるアクシオの低調とラディカルなワゴンであるフィールダーの躍進とに繋がっているのでしょう。
 こうしたカローラへの個性の付与は、先代のE120系から始まっていました。従来、カローラというクルマは、トヨタのセダンカーストにおけるシュードラの存在でしかなく、下駄代わりにクルマを買おうという人間が「取り敢えず」購入するものでした。それ故、コロナやマークII、クラウンといった上位カーストの邪魔をしないよう、カローラは兎に角没個性・平凡レベルに仕立て上げられ、只管にモータリゼーションの布教に努めたのです。乗っていても全然目立たず、徒に他人を刺激しないクルマであるからこそ、カローラは庶民に広く売れ、日本のモータリゼーションを拡大させたのです。
 「New Century Value」と銘打たれた先代カローラは、そんなトヨタのセダンカーストを見事なまでに無視しました。開発段階で「カローラ」の名を捨てる事すら真剣に検討されたE120系の作り込みは、コロナプレミオは勿論、下手するとマークIIの領分すら浸食するような完成度でした。最早、そこには「カローラでいい」などという考え方は存在しません。トヨタは、「カローラがいい」と言わしめるべく、満を持してNCVを市場に送り込んできたのです。
 この、ある種の棄教とも取れるカローラの変節は、自らが広めたモータリゼーションが一巡した事によるシュードラとしての任期満了によるものです。「一家に一台マイカーを」が実現され、今度は「一人に一台マイカーを」を進めようとする際、セダンは些か持て余してしまいます。そこで、カローラよりも更に小さなクルマが新たにシュードラとなり、モータリゼーションの更なる布教を担う事になりました。それが、「New Basic Car」の異名を与えられたヴィッツなのです。
 こうなると、カローラは却って居場所を失ってしまう事になります。下駄クルマとしての役割は既にヴィッツが担う事になり、一方でセダンカーストの上位身分は依然として健在です。こんな中、カローラが販売台数を維持する方法は唯一つ、セダンカーストを脱してクルマとしての個性を持つ事だったのです。
 そんな「個性的」なカローラは、当然ながら従来のカローラユーザーを大きく困惑させる事になりました。今までは単なる下駄クルマだったのに、いきなり「私がカローラです」と自己主張するようになったのですから、付き合い方も分からなくなるというものです。実際、年間販売台数ではフィットに逆転されるという屈辱も味わう事になりましたが、徐々に「カローラという個性」がユーザーにも伝わってきて、従来とは違う売れ方をするようになって来ました。その背景には、今日の「ガイアの夜明け」にあるような、ディーラー販売員の地道な営業活動があるのです。
 現在のE140系には、セダンカーストの名残は殆どありません。そこには、ただ「カローラ」という名前があるのみです。それ故、従来のように年間販売台数トップを常に伺うような売れ方は、今後二度としない事でしょう。今のカローラが目指しているのは、「カローラとか何とかいうクルマを売る」事ではなく、「カローラを売る」事なのですから。