五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

U-15アイドルの過激化に見る児童買春・児童ポルノ禁止法の弊害

 さて、最近の私は専らニコニコ動画でマリオ系TASを見ている日々なのですが、そこでこんな動画を見付けてしまいました。

ニコニコ動画(RC) ‐過激さ増すJrアイドル業界

http://www.nicovideo.jp/watch/sm668115

 常日頃児ポ法なんて百害あって一利なしと声を大にして言っている私ですが、こんな所にも児ポ法の弊害が見て取れます。「乳首や性器さえ見えなければOK」と言わんばかりに、これでもかこれでもかとギリギリのラインを攻めてくるかのような写真集やDVDが溢れてきたのは、従来は「児童ポルノ」の読者・視聴者だった人間が若年アイドルの写真集やIVに流れ込んできたからです。要するに、さーくる社の顧客が心向社に流れたという事であり、児ポ法制定前は全くの別物であった少女ヌード写真集と少女アイドル写真集との境界線が崩壊してしまったのです。



 それが証拠に、U-15アイドルなんてのが持て囃されるようになってきたのはここ数年の話であり、児ポ法制定以前にはU-15アイドルの写真集やビデオなんて殆ど見掛けませんでした。ましてや、そのU-15アイドルにTバックの水着を着せたり性的なポーズを取らせたりするようなものは皆無であり、そんな絵図を求める向きは最初から少女ヌード写真集を購入していました。この時代にU-15アイドルを求める向きは、純粋にそのアイドル自身が好きだったのであり、所謂「ロリコン」とは全く別の存在だったのです。
 更に言うなら、少女ヌード写真集がポルノとしての役割を担うようになったのも、児ポ法制定前の数年間における一時的な現象であり、1980年代の少女ヌード写真集を見れば、当時は単なる「ヌード写真集」でしかなかったという事が見て取れます。それが、プチトマトの廃刊*1やさーくる社の台頭などで徐々に「少女ポルノ」になってきましたが、それでもこれら少女ヌード写真集(或いはそれに派生するビデオ)などにおいて少女に性行為またはその擬似的行為をさせるものは皆無でした。児ポ法制定による少女ヌード写真集の「終焉」に至るまで、少女ヌード写真集の愛好家は「少女とは陵辱するものではなく鑑賞するもの」という一線を守り続けたのです。
 結局、児ポ法によって単なる少女ヌード写真集と本物の少女ポルノとをチャンポンにした挙げ句、その双方の愛好者を「児童性愛者」と異常性欲者扱いした事により、需給それぞれが迷走し、一方では関西援交シリーズを始めとする本格的な少女ポルノが横行し、また一方では少女ヌード写真集に近似したU-15アイドルの写真集やDVDが出回るという歪な現状を生んだのです。こうなれば、双方がエスカレートしていくのは時間の問題であり、U-15アイドルの過激化・低年齢化は時代の要請とすら言えます。変節に変節を重ねた少女ヌード写真集の現状に、清岡澄子女史は草葉の陰で泣いている事でしょう。

 尤も、この問題は偏にU-15アイドルだけの問題ではなく、日本における「猥褻物」の定義そのものの問題でもあります。というのも、ポルノのマルチメディア化が進んだ今日、日本における「猥褻物」とは「性器が写っている動画・静止画」とほぼ同義であり、内容の猥褻性以前に性器描写の有無だけで刑法上の構成要件該当性が議論されているからです。逆に言えば、性器にさえ修正を入れれば没問題という風潮が流行ってしまい、各都道府県の青少年条例による恣意的な取り締まりの横行を許してしまう元凶にもなっているのです。
 児童ポルノの場合、性器に加えて乳首も規制の対象になっただけで、加えて修正の有無だけでなく露出行為そのものが規制されているまでです。前述の「乳首や性器さえ見えなければOK」というメンタリティは、正に日本の刑法制度が生んだものであり、それ故に日本はポルノ後進国であると言われるのです。少女ヌード写真集がポルノの代替品として脚光を浴び始めたのも、日本において陰毛が「猥褻物」と定義されていたのが抑もの発端であり、「少女なら陰毛がないから猥褻物にならない」という本末転倒な理論によるものだったのです。現在のU-15アイドルに性的な嗜好を求める向きの萌芽は、この時に成人女性のヌード写真集を求める層が少女ヌード写真集に傾れ込んできたものであり、ポルノ後進国日本ならではの現象と言えます。
 昨今のU-15アイドルの過激化に伴い、これを規制しようという向きが出てきています。しかし、「猥褻物」の定義を始めとする日本の刑法制度に大きなパラダイムシフトが発生しない限り、U-15アイドルの需給双方は少女ヌード写真集の新たな代替物を求めていくだけです。この鼬ごっこが続く限り、日本は成人ポルノにおいても児童ポルノにおいても諸外国から後進国と見なされていく事でしょう。

*1:これは、プチトマトが欧米から「児童ポルノである」と指摘された事によるものであり、本件を以て「日本は児童ポルノ規制後進国である」とする向きも少なくありません。事実、現在児ポ法を推進する向きの論拠には少なからず「後進国」としての意識がありますが、逆に言えばわざわざ児童ポルノなんて法規制するまでもなかったという事であり、それだけ児童ポルノの需要が日本では少なかった、或いは児童ポルノによる児童の法益侵害は少なかったという事です。法規制の有無と小児性愛者の多寡とは全くの別問題であり、本件のみを以て「日本人には小児性愛者が多い」とする事は大きな誤りです。
尤も、源氏物語以来、日本人にロリコンの文化が根付いていた事もまた事実であり、これは児童ポルノと別の文脈で検討すべき事です。だからといって、実際に少女を陵辱しようとした人間は、やはり日本人においてすらマイノリティだったのですが。