五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

平岸天神と活頗組、その異なる方向性

 という事で、今年もYOSAKOIソーラン祭りを見に札幌まで行ってきました。転職1年目で年休が使えない為、ファイナルコンテストを桟敷席で見る事は適いませんでしたが、土日の2日間で予定していた殆どのチームの演舞を見る事が出来ました。しかも、新琴似天舞龍神・平岸天神・VOGUE038という昨年のトップ3について、それぞれの地元で演舞を見られたので、かなりの収穫でした。
 さて、日曜日に平岸天神を見に平岸会場へ行った際、演舞の順番はこんな感じでした。

  1. 平岸天神
  2. いなせ系暁会活頗組
  • (中略)
  • 大トリ:平岸天神

 最初の2チーム、それぞれの方向性が135度くらい違うのですが、その2チームを立て続けに見た事によって、色々と気付いた事があるので、思い付くままにつらつらと書いてみます。



 巷間よく耳にするYOSAKOIソーラン祭りへの批判に、「今のYOSAKOIソーラン祭りは最早単なるダンスコンテストだ」というものがあります。それ以外にも、アンチYOSAKOIの人が言うには、

  • 道路が通行止めだらけで市民生活を麻痺させる
  • 地方車の轟音が五月蝿くて仕方がない
  • 出場者の悪行非行が目に余る
  • 組織委員会の会計が不透明

 など、YOSAKOIソーラン祭りは地元の札幌市民に必ずしも受け容れられているとは言えない状態で、それがソーランイリュージョンにおける総踊りの時間短縮にも繋がっているのでしょう。
 私が初めてYOSAKOIソーラン祭りを見に行ったのは、今から4年前、2004年の第13回からなのですが、それはちょうど平岸天神が大賞から遠離った4年間の始まりの年でした。代わって前人未踏の4連覇を果たしたのが新琴似天舞龍神であり、YOSAKOIソーラン祭りがダンスコンテストと揶揄され始めたのは正にこの頃からです。今年の平岸天神は、「これぞYOSAKOIソーラン」という演舞を見せてくれました。平岸天神を見続けて5年間、思わず鳥肌が立ってしまったのは、今回が初めてです。
 平岸天神の演舞は、単なるよさこいでもなければ、単なるソーラン節でもありません。勿論、単なるダンスという範疇のものでもなく、「よさこい」「ソーラン」何れの要素が欠けても、平岸天神の演舞は成立しないのです。元々、ソーラン節とは渡島半島でニシン漁をしていた漁師の舟唄であり、その根底にあるのは海の男の逞しさ、そして大漁の喜びなのです。今回、そうしたソーラン節の真髄を最も体現していたのが、他ならぬ平岸天神なのです。
 平岸天神は、正に「ソーランを究めた」存在です。特に、今年の演舞は正に肚の底から大漁の喜びが伝わってくる感じであり、誰が何処からどう見ても「ソーランだ」とはっきり分かります。一方、新琴似天舞龍神は、見た目こそ実に見事なものですが、それがソーランである必然性は何処にもなく、その台頭が「ダンスコンテスト」という揶揄を生むのは自明の理だったのです。



 ソーラン節に忠実であり、何処までも「YOSAKOIソーラン」である事、それは平岸天神の揺るぎなき強さであると同時に、実は脆さでもあります。というのも、一歩ソーランの枠からはみ出た瞬間、平岸天神は平岸天神ではなくなるからです。その事をハッキリと認識できたのは、平岸天神の直後に演舞した活頗組を見たからです。
 いなせ系暁会活頗組は、言うなれば「珍舞代表」です。私が初めてYOSAKOIソーラン祭りを見に行った時、平岸天神とは別の意味で活頗組に圧倒されてしまいました。この時の活頗組は、スーツ姿の男性とOLのコスプレをした女性という、よさこい節ともソーラン節とも何等接点のないスタイルで、当然ながら演舞の内容もソーラン節のそれとは殆ど関係ありませんでした。そんな活頗組を見た私の感想。
 「こいつら、バカじゃねえの?」
 実際、活頗組はバカ集団です。それも、ホームラン級のバカ集団です。しかし、そのバカ騒ぎが剰りにも突き抜けていた為、私は思わず感心してしまいました。平岸天神が「YOSAKOIソーランを究める」存在であれば、活頗組は「YOSAKOIソーランを楽しむ」存在です。とことんバカになり、とことん祭りを楽しむ、それが活頗組の魅力であり、存在意義でもあるのです。
 活頗組の演舞は、よさこい節で語る事が出来なければ、勿論ソーラン節でも説明が付きません。面白いと思ったものは何でも取り入れる、活頗組ならではの「珍舞」であり、バカ騒ぎなのです。平岸天神とは逆に、YOSAKOIソーランであろうとすればするほど、活頗組は活頗組ではなくなるのです。それは、活頗組の弱さであると同時に、強かさでもあります。YOSAKOIソーラン祭りにインスパイアされて、全国各地でYOSAKOI系の祭りが開催されていますが、活頗組はその何処のレギュレーションにも対応できてしまいます。平岸天神は「YOSAKOIソーラン」のチームですが、活頗組は「祭り」のチームだからです。
 2005年からの3年間は、新琴似天舞龍神の影響を受けてなのか、かなりダンスコンテスト風に振った印象があり、そんなに面白いものにも見えませんでした。しかし、今年の活頗組は久々にバカ丸出しで、見ていて思わず爆笑してしまいました。最後の最後まで何をしたいチームなのかはさっぱり分かりませんでしたが、それでも活頗組は面白ければいいんです。いっその事、足枷にしかならない審査なんてものは辞退してしまい、観客を楽しませる「珍舞」の道を究めて欲しいものです。

 平岸天神のようにYOSAKOIソーランを究めるチームもいれば、活頗組のようにエンターテイナーとして観客を沸かせるチームもいる、それがYOSAKOIソーラン祭りの魅力なのです。勿論、新琴似天舞龍神のように観客を魅せるチームも結構ですし、新ひだか三石なるこ保存会のように伝統芸能継承というチームがいてもいいんです。「YOSAKOIソーラン祭りとはかくあるべき」などという枠組みで語る事なく、もっと自由なYOSAKOIソーラン祭り像を模索できれば、そこが札幌市民との融和の突破口になるのかも知れません。
 色んな意味で原点回帰した今年のYOSAKOIソーラン祭り、この調子であれば来年はかなり期待しても良さそうです。ただ、返す返すも総踊りが一瞬で終わってしまうのだけは残念ですね。YOSAKOIソーラン祭りが札幌市民に真に受け容れられれば、ソーランイリュージョン開始直後のように、30分くらいよっちょれを踊り続けるなんて事も出来るようになるのでしょうね。