五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

定時で帰る公務員

 昨今、公務員に対する風当たりが以前にも増して強くなっています。「失われた10年」が「失われた20年」になり、そしてこのまま「失われた100年」へと向かいつつある中、その身分や待遇が法令で保障されている公務員は、民間企業に勤務している人から見れば、羨ましく妬ましい存在でしょう。そうした市民感情を意識してなのか、最近の公務員の待遇は少しずつ「民間水準」へと近付いています。
 しかし、巷間溢れている公務員批判の中で、私がどうしても承服しかねるものが一つだけあります。それは、「市役所の連中は定時になったらさっさと帰りやがる」というものです。私自身、IT土方時代に比べれば目に見えて残業*1は減りましたが、こればかりは当然の事だと認識しています。



 基本的に定時で退勤できる公務員は、サービス残業が横行している民間企業から見れば恵まれた存在でしょう。中央省庁や都道府県庁の職員だと連日残業尽くめという事もありますが、市町村役場で残業続きになる事は稀ですし、私のように窓口部署にいる職員だと残業する事自体が稀です。当然ながら、定時になれば窓口を閉めてしまいますから、前述のような非難が出てくる事になってしまいます。
 しかし、「職員が残業続きになる」というのは、それだけ人員配置や職務分掌に無理が生じているという事なのです。官公庁の人員計画におけるあらまほしき姿は、全職員が定時内にその事務を完了できる事です。そして、職員が定時内に事務を完了しきれない状態だからこそ、残業が発生してしまうのです。
 言うまでもなく、職員の給与は全て税金を財源としています。民間企業であれば、「従業員の残業が増えても、その分売り上げを伸ばせば利益は増える」という考え方が通用しますが、抑もが金銭的利益を目的としていない官公庁において、この考え方は通用しません。となれば、職員の残業が増えれば増えるほど、税金を無駄に食い潰す事になってしまうのです。人件費の抑制という事を考えれば、定時退勤の励行は非難どころか寧ろ賞賛されるべき話なのです。

 更に言うならば、中央省庁や都道府県庁などで残業が恒常的に発生している現状は、ハッキリ言って異常事態です。東日本大震災のような有事対応で365日24時間態勢になっているというのなら別段、平時においても終電間際まで残業するのが当たり前になっているなんていうのは、職員数が絶対的に不足しているか事務量が絶対的に多過ぎるかのどちらかです。ましてや、そうした公務員の勤務状況を憂えるどころか寧ろ「公僕の鑑」と賞賛する雰囲気すらある昨今の輿論は、官民格差の存在を踏まえてもなお狂気であるとしか思えません。
 全体の奉仕者としての公務員を最大限活用しようというのは、(原義における)プロ市民としてのあるべき姿です。しかし、過重な残業を当然のものとして公務員に要求する事は、その代償としての時間外勤務手当の垂れ流しを容認する事と同値なのです。そして、「公務員なんだからサービス残業くらい当然の事」などと言うのであれば、それは官公庁の事務におけるデュー・プロセスの軽視を容認する事と同値なのです。
 勿論、全然残業しないからといって、市町村職員の昼間が暇なのかと言えば、決してそんな事はありません。何処も職員数は大幅に減らされているのですから、職員1人当たりの事務量は確実に増えています。そして、窓口業務をこなしながらそうした事務仕事をテキパキとこなしているのが、標準的な市町村職員の姿なのです。
 東日本大震災などの有事であれば、公務員を365日24時間使い倒しても構いません。しかし、平時における公務員の仕事ぶりは、残業時間の多寡ではなく寧ろ昼間の事務処理量で評価すべきです。これは民間企業においても同じ事なのですが、定時内にキッチリ仕事をこなして退勤できる人が、真に優秀な職員なのです。

*1:当然ながら、サービス残業を含みます。