五月原清隆のブログハラスメント

これからは、セクハラでもない。パワハラでもない。ブロハラです。

民衆を導く日本のガラケー

 さて、今回の米国旅行に際して、久し振りに携帯電話を機種変更してみました。

 実に3年3ヶ月ぶりの機種変更な訳ですが、共通点と言えばスウィーベルスタイルである事くらいだけで、何もかもが別世界だったりします。

  • 端末の持ち方で、画面の縦横を自動的に判別する。
  • 液晶画面がタッチパネル化している。
  • 1ページ当たりの表示可能文字数が飛躍的に増加している。

 などなど、操作性の変化を含めれば、正に毎日が革命みたいな状態です。幾ら適当なスウィーベル機種が登場しなかったとはいえ、我ながらよくここまで耐えたものだと思います。
 そんなソフトバンクの最新機種ですが、当然ながら機能面では欧米の携帯電話端末を遥かに超越しています。日本の携帯電話が「ガラパゴスケータイ」、略して「ガラケー」などと言われる訳ですが、私は今回の米国旅行で必ずしも日本の携帯電話を「ガラパゴス」と自虐的に捉える必要はないのではないかと思うに至りました。というのも、現地の米国人が使用している端末が、少しずつ日本の携帯電話に近付いているからです。



 抑も、日本の携帯電話がガラケーとして独自の進化を遂げるようになったのは、ここ10年くらいの話です。私の記憶が確かならば、10年前の携帯電話は、iモードどころかカラー液晶画面すら搭載していませんでした。私が大学に入学したのが1999年ですが、その頃になって漸くNTTドコモiモードがサービスインしています。そして、iモード対応初号機である501iシリーズは、カラー液晶ではなくモノクロ液晶でした。カラー液晶を搭載したiモード対応端末は209iシリーズからだったかと思いますが、この端末はアプリ非対応でしたから、今では当たり前となっているローカルでのアプリ実行すらできなかったのです。
 私は、10年前から一貫してJ-PHONEVodafoneSoftBankユーザーを続けていますが、最初にカラー液晶を搭載したのは、1999年頃に登場したJ-SH02だったかと記憶しています。この機種は、初の3和音着メロ対応機種・J-Sky対応機種でもあったはずで、当時としてはかなり先進的な機種でしたが、それでもなおカメラ搭載機種となるとJ-SH04まで待たなければなりません。今日よく見掛ける折り畳み式のカメラ付き携帯電話はJ-SH07が最初であり、それにパケット通信を加えると、そのお初はJ-SH51まで下るはずです。この機種は、私が卒業論文の執筆で日本全国を駆け巡っていた2002年に発売されているはずですから、今からたったの7年前という事になります。
 そして、現在の世界水準は、既にこのレベルまで届いています。今回の旅行で私が訪れた観光地には、米国内のみならず世界中から観光客が訪れているのですが、少なからざる数の観光客が、カメラ代わりに携帯電話を取り出して写真を撮っていました。勿論、その端末が日本製のガラケーであるはずもなく、多くはモトローラだったりノキアだったりといった世界的シェアを持つメーカーの端末です。少し前までは想像も付かなかった光景ですが、日本で生まれてから10年も経たない「カメラ付きケータイ」は、その使い方も含めて既に世界中に拡がっているのです。

 私の記憶が確かならば、モバイル端末で初めてカメラを搭載したのは、1998年にソニーが発売したVAIO C1です。携帯電話にカラー液晶もインターネット接続もなかった時代に、既にVAIO C1は「内蔵カメラで撮影した写真をモバイル通信でウェブサイトに掲載」という今日に通じるライフスタイルを提示していたのです。私は、1999年8月に3代目のC1であるPCG-C1Sを購入しましたが、この当時はMOTION EYEで写真を撮っているだけで奇異の目で見られたものです。ましてや、携帯電話のモバイルデータ通信を利用してメールで旅日記なんか送った日には、相手方にかなり驚かれたものです。
 今となっては、写メールどころかmixiだのtwitterだのに携帯電話から写真を投稿するなんていうのが当たり前になりましたが、10年前にはこうした技術は早過ぎたのか、爆発的ブームを巻き起こす事なく、VAIO C1シリーズはその発売を終了しました。しかし、VAIO C1が切り拓いたモバイルコンピューティングスタイルは、VAIO C1とほぼ同時期に勃興した日本のケータイ文化と融合し、今ではガラケーを象徴する機能の1つになりました。そして、ケータイカメラは国境を越え、今となっては世界中の携帯電話がモバイルカメラを搭載するにまで至っています。
 また、現在世界中で発売されているiPhoneも、元を辿れば2000年にソニーが発売した「ウォークマンケータイ」SO502iWMまで遡ります。そして、私がこのアイデアを最初に見掛けたのは、ナガオカケンメイ氏の著書「コマボン」における「ウォークマン&携帯電話」というデザインアイデアです。
コマボン―コマーシャルな本

コマボン―コマーシャルな本

 この当時は、携帯電話を利用してインターネットから音楽を購入するようなインフラ自体がなかったのですが、今日のiPhoneの普及を見るに付け、ナガオカケンメイ氏の先見の明を感じずにはいられません。
 モバイルカメラもミュージックプレイヤーも、元々は単なるガラパゴスでした。しかし、その機能は今や世界を席巻し、世界中の人々がこれらの機能を使いこなしています。そして、テレビ受信機能やおサイフケータイ機能など、同じくガラケーを象徴する機能についても、少しずつその搭載が始まろうとしています。
 今はまだ、日本の携帯電話がガラパゴスに見えるかも知れません。しかし、世界は少しずつ、けれども着実に、日本に追い付いてきています。ガラケーは、決して世界から取り残されているのではありません。世界の人々の遥か未来から、ガラケーは世界を牽引しているのです。そんな世界の最先端にいる事を、日本のガラケーユーザーはもっと誇りに思うべきでしょう。

 そういえば、最近の事業仕分けにおいて、蓮舫議員がスパコン開発予算について「2位じゃダメなんでしょうか?」と発言した事が色々と物議を醸しました。私は、この事業仕分けに係る議事録の全文に目を通した訳ではありませんが、スパコン予算のあり方について見直すべきであるという蓮舫議員の趣意には大いに賛同する所があります。
 というのも、現在のスパコン開発競争は、単なる技術力の競争ではなく、そこに投入できるヒト・モノ・カネの資源量の競争となっているからです。技術力だけで世界を席巻できた時代ならいざ知らず、物量を含めた総力戦になるというのであれば、日本がどう足掻いた所で合州国支那に敵う道理はありません。資源を持たざる国が資源を持てる国に戦争を挑めばどういう悲惨な結末が待っているかは、太平洋戦争という史実が雄弁に物語っています。
 現在、スパコン開発競争の継続を声高に叫ぶ面々は、言うなれば奇襲戦だけで超大国に勝利できると盲進していた帝国陸軍のようなものです。そして、奇襲戦が通用しなくなって物量戦に持ち込まれた時、日本のスパコン業界は余裕の原爆投下によって悲惨な最期を迎える事になるのです。そういう過ちを二度と繰り返さない事こそ、日本人が先の大戦で学んだ事であるはずです。
 日本が進むべき道は、決して物量に優る超大国と真っ正面から戦争する事ではありません。世界中の誰もが想像し得ないパラダイムを構築し、世界の遥か先へと進む事です。そして、その進むべき道を今まさに歩んでいるのが、日本が世界に誇るガラケーなのです。